安藤忠雄

世界でも名を知られる日本の建築家「安藤忠雄」

東京大学特別名誉教授であり、21世紀臨調特別顧問、さらには東日本大震災復興構想会議長代理など、様々な部分で責任ある立場に立つ安藤忠雄は、世界にもその名を知られた日本屈指の建築家です。

1941年、大阪府大阪市に双子として生まれ、彼の双子の弟さんも東京で都市コンサル行、商品デザイン業を営む著名な方です。
もう一人、下に生まれた男は建築家北山孝二郎、彼はピーター・アイゼンマントのコラボで有名になりました。

安藤忠雄は、母が一人娘だったということもあり母親の実家を継承するため、生前より約束していた大阪市旭区の祖父母、安藤氏の養子となります。
その後、大阪府立城東工業高等学校を卒業、具体美術協会にひかれ少しは美術的な事に係わったといわれていますが、大学では建築教育など専門教育を受けていません。

建築家、都市計画課の水谷氏の元、また建築設計事務所においてアルバイトをした経験と、独学によって建築士試験に合格したという強者が安藤忠雄です。
彼は木工家具の制作によって資金を得て、24歳で4年間アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど計画の内放浪の旅に出ます。

ガンジス川では牛が泳ぎ、その近くで亡くなられた方が荼毘に付されている、またその近くでは人々が当たり前のように沐浴する、異臭が漂う中、果てしなく続く大地に生きるということと死ぬということが混然となった世界に強く感銘を受け、逃げたいという気持ちを抑えつつガンジス川の岸辺にすわり様々な事を考えたといいます。

また彼は芸術家とは思えない行動もとっており、高校2年生の時、プロ極サーのライセンスを取得、なんと6回戦まで進んだが、後の世界チャンピオン、ファイティング原田の練習風景を見た時、ボクサーを諦めたといいます。

安藤忠雄建築研究所を設立、経験を積み世界的評価を受ける

1969年、海外からの放浪の旅から帰国し安藤忠雄建築研究所を大阪に設立します。
ここで彼は多くの個人住宅を手掛け、経験をどんどん積んでいきます。

1976年に建築した大阪市住吉区の住吉の長屋という建物が高い評価を受けて、日本建築学会賞受賞、安藤氏らしいコンクリート打ちっぱなし、幾何学的フォルムが個性的な作品です。

その後、関西周辺において商業施設設計、さらには寺院、教会設計を経て1987年、イェール大学客員教授、1988年、コロンビア大学客員教授、1989年ハーバード大学客員教授を経て1991年にはニューヨーク近代美術館で個展を開きます。

エリエール美術館を建築しその後も数々の美しい建築物を作ってきた安藤忠雄氏は、社会活動にも非常に積極的で、大阪では桜の会、平成の通り抜け実行院長を務め、桜を三千本植樹しようと頑張っています。

また東日本大震災で親御さんを亡くしてしまったお子さんたちに学びを支援するため、文化人7名と一緒に遺児育英資金、桃・柿・育英会という会の実行院長を務めています。

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