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アントニ・ガウディ

アントニ・ガウディ・・・精神的な困難期を乗り越えた先に見得たサグラダ・ファミリア

天才といえばこの人ほど、その名を世間に知られている人はいないのではないか、この人の設計した建築が、「今もなお」継続されているという事実も世界中で多くの方が知っていることです。
アントニ・ガウディの卒業設計をみたビリャール教授は「悪魔か、天才か」とつぶやいたということでも有名ですが、彼の設計は彼にしかできないものであり、まさしく神か悪魔が与えた才能だったのではないかと感じるほど迫力をもって現在に至るのです。

カタルーニャ地方、タラゴナというところで生まれたアントニ・ガウディの父は銅細工師、母も銅細工職人という家系に生まれています。
彼が空間を彼独自の目線で支配し把握するというその建築家としての能力は、ここから養われたのではないかとされています。

彼は6歳になるまでにリウマチかかり他の子どもと遊ぶということが難しかったといいます。
ただ、クリスマスの時に紙細工で風変わりな家を作っていたという逸話が残っていますので、この当時から何かを作るということに長けていたのではないかと想像されます。

また学校で鳥の翼は飛ぶためにあると先生からいわれると、鶏の翼は走るために機能していると示したという話も残っていて、当時からその構造や機能を見極める観察力があったといわれています。

アントニ・ガウディといえばサグラダ・ファミリア

バルセロナのシンボルといわれているサグラダ・ファミリアは、カトリック教会で未だ未完成の作品です。

1882年、当初はビリャールが設計したのですが辞任しその後をアントニ・ガウディが引き継ぐことになります。
つまり施工は1882年でアントニ・ガウディは1926年、事故で亡くなるまで少額の作品としてこのサグラダ・ファミリアに携わっていました。

仔細な設計図を残していないのですが、大型模型、紐、錘などを用いて構造を検討したといわれており、現在もその建築が進められています。
実際に竣工予定となっているのが2026年ということなので、2026年まで生きていることが出来れば144年もの歳月をかけて作った世紀の建築物をその目に見ることができるかもしれません。

ガウディがこのサグラダ・ファミリアの主任建築家となってから、その他の仕事を一切断り、この建築物に命を懸けてきました。
途中、彼はこの対策について精神的に困難な時期を迎え、自殺も考えていたというほどに彼を栗閉めましたが、危機を乗り越えると狂ったようにこの設計に没頭したといいます。

アントニ・ガウディという天才は自ら閉居し設計に没頭する日々を送り、1926年、バルセロナ市内で路面電車にはねられ、当時ダンディで有名だった彼があまりにもみすぼらしい格好をしていたため、彼とわからず病院に収容されるのがおそくなったといわれています。
結局6月の7日に事故にあい10日にお亡くなりになりましたが、彼の御遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬されているといいます。

建築を志すものなら誰もがきっと完成をみたかっただろうと思われるサグラダ・ファミリア!2026年に完成するという事を聞くと、何とか一目、みたいと感じている方が多いでしょう。

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フィリップ・ジョンソン

透明なガラスの箱・・フィリップ・ジョンソンという建築における革命児

20世紀を代表する建築家といえば、この人の名が必ず出てくるともいえるのがフィリップ・ジョンソンです。
彼の作品は建築家としてその技能、才能共に素晴らしいものがあるですが、だからこそなのか?常に生まれた作品は多くの人から物議の対象となってきました。

新しい建築スタイルに世間が驚き、その才能を認めても彼はそこでストップせず、その建築方式をいとも簡単に脱ぎ捨て、次の作品にまい進します。
自分の事を売春婦みたいなものだと揶揄しているのも、彼らしい自己表現です。

アートコレクターであり彼のパートナーであったディヴィッド・ホイットニーと自分自身の為に作った10棟の建築物、このうちで世界を最も驚かせた建築物が1940年代後半に建築されたグラスハウス、透明なガラスの箱です。
現在はこのグラスハウスはフィリップ・ジョンソンの遺言通り、ナショナル・トラストの持ち物となっており、グラスハウスとその敷地をめぐるツアーなども行われており、この建築物を見学に行く人は後を絶たないといいます。

プライバシーのないガラスの箱、グラスハウスの美しさ

美しい芝生と緑に囲まれているけれど、確かにガラスの箱であり周囲からは家の中が丸見えです。
皆さんこのグラスハウスを見学に来ると、フィリップ・ジョンソンはどこで寝ていたのだろう?と考えます。

もちろんフィリップ・ジョンソンであってもこの全くプライバシーのないところで眠ることはせず、同時期、芝生を挟んだ時期に作った閉じた建築物、ブリックハウスで寝ていたといいます。

ガラス、スチールで作られているこのグラスハウスは床面にも小さいガラスをはめ込み作られています。
換気装置はないのですが、各立面の中央のガラスが扉になっており、ここを開けると涼やかに風が通るといいます。

フィリップ・ジョンソンはどんな人物なのか

アメリカ、オハイオ州のクリーブランドに生まれ、ニューイングランドで育ったというフィリップ・ジョンソンは、1023年、ニューヨークのハックリー・スクールを卒業、ハーバードに進学し哲学を専攻します。

在学している時、弁護士の父からゆずってもらった株が高騰、彼は巨額な富を手に入れます。
1927年に卒業しその後は古典建築や近代建築などを見学しながらヨーロッパを巡ります。

1930年にはニューヨーク近代美術館の初代館長より誘いを受けてキュレーターとなり、その後、建築史家のヘンリー・ラッセル・ヒッチコックと近代建築展などを開催、アメリカにヨーロッパのモダニズム建築を紹介するなど活躍します。
その後、ドイツ旅行に行ってナチズムに感化されるなどして政治活動など行いますが、1940年にはハーバード大学建築学部大学院に入学しますが、卒業後はアメリカ軍技術師団に志願して入隊するなど貴重な体験もされています。

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