SANAA

近年主要美術館を多く手掛けているSANAA

金沢21世紀美術館、ルーヴルランス美術館、ニューヨーク、アメリカなどのニューミュージアム・・・最近注目される多くの美術館を手掛けてきているのが、建築家「SANAA」です。
SANAAは家具デザイン等も手掛け、今までにない家具デザインは多くの方から評価を受けていますし、空間構成等も行っている非常に才能豊かな人材です。
SANAAは妹島和世(せじまかずよ)さんと西沢立衛(にしざわりゅうえ)氏という2名の建築家ユニットで、建築業界の最高峰と呼ばれるプリツカー賞、日本建築学会賞も2度受賞、また金獅子賞等多数の賞も受賞されている注目の建築家です。

まるで建物が光を放っているように感じる熊野古道なかへち美術館は、ガラスの美しい箱というイメージで、光が中からあふれていると思ってしまうような繊細な作品です。
展示室を囲むような回廊が印象的で、回廊、ロビー共に全面ガラスという構造になっています。

またこれもガラスが印象的な作品となっていますが、ディオール表参道はガラスが光に当り、さらに内側に施しているアクリルに光が反射するという複雑な光を利用している建築物です。

光が揺らめきまるでひだが作られたかのように見えるこの建物も、SANAAならでは・・・このユニットが作り出す繊細な世界があります。

どの方向からでも入る事が出来る、金沢21世紀美術館

地上1階、地下1階という建物ですが、中央に芝生の敷地があり円形の建物がどんとそびえています。
この建物も、SANAAらしく総ガラス張りとなっていて、兼六園方向からも香林坊方面からも、また柿木畠方面からも入場できるという作りになっています。

沢山の作品を無料で見ることができるという不思議な美術館ですが、この非常に美しく見る人の事を考慮した建築物はベェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展で最高賞となる金獅子賞を受賞した作品です。
アートの島と呼ばれる直島、この玄関口にたたずむフェリーターミナル、この作品もSANAAの作品です。

鉄骨造一部鉄筋コンクリートという造りになっていて、海の景色を邪魔しない透明感のある美しい建物が魅力です。

SANAA それぞれの経歴、その歴史とは

SANAAの妹島和世さんは、茨城県に生まれ日本女子大学大学院を修了し、伊藤豊雄建築設計事務所に入ります。
後に妹尾和代建築事務所を設立しますが、その後西沢立衛とSANAAを設立します。
現在は慶應義塾大学教授という肩書もお持ちです。

西沢立衛氏は神奈川県に生まれ横浜国立大学大学院を修了し、妹島和世建築設計事務所に入ります。
その後、妹島和世さんと共にSANAAを設立し、西沢立衛建築設計事務所も設立されており、現在は横浜国立大学大学院准教授という肩書をお持ちです。

Categories: 尊敬する建築家
猪熊弦一郎

上野駅の大壁画、誰もが一度は眼にしたことがある猪熊弦一郎の作品

すでにお亡くなりになりましたが、猪熊弦一郎という建築家が遺した功績は、今もたくさんの場所で見ることができます。

上野駅に行くことがあれば中央コンコースや駅舎の三角部分などに大壁画を見ることができますし、帝国劇場に行く機会があるなら、美しいステンドグラスを見ることができます。
彼の作品は日本のそこかしこに、印象的な芸術品として今も多数残っています。

猪熊弦一郎氏は「絵を描くには勇気がいる」とよく話をされていたようです。
彼が遺してきた作品を見ても、確かに勇気がいると感じられる非常に大規模な作品、また日本を代表する場所における作品が多いのです。

現在は丸亀市に猪熊弦一郎現代美術館があり、彼の作品を身近に見ることができます。
彼の作品は常に情熱を感じるものであるし、人に何かを伝えるという力を持っていると感じる作品が多いのです。

あまり知られていないことですが、三越デパートのあの印象的な包装紙、実はこれ、華ひらくという猪熊弦一郎氏のデザインです。

上野駅のシンボルともいえる自由という作品

駅舎の屋根の下、ちょうど三角になっている部分に、猪熊弦一郎氏の自由という作品があります。
全体にくすんだ印象の色味を使っている壁画ですが、何とも味のある絵が題名通り、自由に描かれています。

馬に乗った人がいたり、犬が話をしているような絵があったり、魚を持っている人、傘をさしている人、話をしているような男女・・・実に印象的な絵です。

慶應義塾大学 大学ホールのデモクラシー

慶応義塾大学の大学ホールにも猪熊弦一郎氏の作品があります。
これはデモクラシーという作品ですが、この作品と名古屋丸栄ホテルホールの壁画、愛の誕生という作品で、第2回毎日美術賞を受賞されています。

学生が食事する山食と呼ばれる空間にあるのがこのデモクラシーという作品ですが、猪熊弦一郎氏らしいくすんだイメージの壁画です。
ここでも何かしている人、佇んでいる人、羽の生えた動物、塔などが印象的に書かれています。

猪熊弦一郎の経歴、建築家になった歴史

香川県高松市に生まれ少年時代はこの地で過ごします。
旧制丸亀中学、東京美術学校(現代の東京芸術大学)に進学し、藤島武二教室に学びます。
帝国美術院第7回美術展覧会で初入選を果たします。

1936年、志が同じということで伊勢正義、内田巌、小磯良平らと新制作派協会を結成し、発表の舞台とします。
1938年にフランス、アンリ・マティスに学び1948年には1987年まで小説新潮の表紙絵を手がけました。

三越の包装紙、華ひらくをデザインしたのは1950年、その翌年上の駅の大壁画、あの事由が制作されました。

1955年には再度パリで勉学するために日本を離れますが、途中立ち寄ったニューヨークにひかれてそのまま20年間、同地によって制作活動を継続します。
1973年、日本に一時帰国している時病に倒れ、その後ニューヨークのアトリエを引き払い、冬はハワイでその他の季節は東京で暮らすようになりました。

故郷である丸亀市に1000点もの作品を寄贈し、その後、所有しているすべての作品を丸亀市に寄贈するという文書を提出、準備丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に搬入されることになります。

90歳、東京で死去されるまで彼は常に芸術家であり、美しい壁画やそのほかの作品をこの世に残していったのです。

Categories: 尊敬する建築家

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