オスカー・ ニーマイヤ美術館

オスカー・ニーマイヤ美術館はブラジル、クリチバ市にあります。
クリチバ市 は、ブラジル南部に位置する都市で、パラナ州の州都です。

世界的な建築家

オスカー・ニーマイヤは世界的にも高く評価されている建築家の一人でブラジルを代表する建築家です。
彼の経歴は決して穏やかなものではなく、その左翼的思想が原因でブラジル政府から建築活動を禁止され、ほとんど亡命のような形で20年間もパリに住んでいました。
実際に、共産党に入党しています。

ブラジルに帰国してから、ブラジルの首都、ブラジリアの主だった政府機関の設計を担当し、ブラジリアの都市計画そのものに参画したといっても過言ではありません。
彼の流麗な曲線を多用した建築物がブラジリアの景観を作り上げており、この景観が高く評価され世界遺産にも登録されました。

104歳という長命であったせいもあるかもしれませんが一流建築家としての活動期間が非常に長くその作品も数多い稀有な存在です。

オスカー・ニーマイヤ美術館は設計当初はクリチバ博物館ということでオスカーーニーマイヤが設計しました。
2002年にクリチバ博物館として完成したものですが、2003年にオスカーーニーマイヤの功績をたたえるためにオスカー・ニーマイヤ美術館と改名されたのです。

目のミュージアム

オスカーーニーマイヤ美術館の外観は非常に印象的な目の形をした建物と長方形のたてもが組み合わさってできています。
目の形をした建造物があまりにも印象的なので「目のミュージアム」と呼ばれることもあります。

目の形の建物には、曲線を大胆に生かしたスロープなどオスカーニーマイヤー建築の特徴が大胆に表現されています。
長方形の建物のほうに美術館の入り口があり、カフェなどの施設もあります。
カフェはガラス張りの壁が非常に開放的な美しい空間で落ち着いた感じがします。
建物の外観に水辺を配して印象付ける手法もしっかり使われています。

快適な内部空間

壁は大胆に斜めにつくられており、正方形や長方形の部屋割りを思い浮かべる既成概念を打ち砕くデザインです。
柱も上に行くほどに細くなるデザインなので建物全体に軽快な印象を与えています。

階段よりはスロープが重視されているおかげで緩やかな分スロープの占めるスペースが大きくゆったりした空間を演出しています。

展示会場そのものは、あまり奇抜なデザインではなく白い清潔感がある空間で落ち着いた快適な空間になっています。
オスカー・ニーマイヤに関する展示場は曲線的な壁で仕切られていて、その中に彼の作品の模型が展示されています。
オスカ・ニーマイヤのデッサンを展示した部屋もあり、美しい曲線のデザインが数多く残されています。

長方形の建物から目の形の建物まで建物内で移動することができ、目の形の建物は革新的で宇宙的な感じのする展示場になっています。
この展示場も革新的な外観と内装ながらも快適な空間には違いありません。

オスカー・ニーマイヤ美術館は革新的で、奇抜な感じさえ与える外観と、さわやかで気持ちのいいお落ち着いた空間を演出する内装がとても印象的な建物です。

オスカー・ニーマイヤが、その奇抜さや革新的な経歴にも関わらず、ブラジルの多くの国家機関関連の作品が多いのは、彼が世界的に有名な建築家であるとともに、気持ちのいい空間を作り上げることができることが大きな要因ではないでしょうか?

クラック・デ・シェヴァリエ

クラック・デ・シェバリエはシリアの北西部ホムス近郊にある城で十字軍が築いた城の中でも最も保存状態がよく美しい城として知られています。

キリスト教徒の要塞として

クラック・デ・シェバリエを築城したのはホムスの領主でした。
1031年の築城で1099年には第一回十字軍に敗れています。

しかし、この時には十字軍は城を放棄してエルサレムへ進攻しました。
1110年にガレリヤ公が攻め落として大きく改築しました。その後1142年には聖ヨハネ騎士団に譲られました。
このヨハネ騎士団が現在のクラック・デ・シェバリエの原型を作り上げました。

もともとはアラブ系の建造物だったものを聖ヨハネ騎士団がホールや礼拝堂などキリスト教徒の要塞としての体裁が整えています。
地上と地下に巨大な食糧貯蔵庫を作り5年間は籠城できるほどの要塞を作り上げたのです。
この城の周辺には、他の十字軍の要塞もあり、この地は十字軍によって治められるようになったのです。

イスラムの要塞として

十字軍が衰退し始めた1271年マムルーク朝バイバルスはクラック・デ・シェバリエに駐屯する十字軍を偽の情報を用いて開城、撤退させ城をわがものとしました。

そのためキリスト教の礼拝堂はイスラム教のモスクに改装されました。
礼拝堂以外にも、アラブ人の居城にふさわしくイスラム風の内装に大きく改装されたのです。

その後も、クラック・デ・シェバリエはイスラムの要塞として数々の戦いに活用され、永くマムルーク朝の居城とされました。
現在はシリア政府に管理されており2006年に世界遺産に登録されました。

戦いのための要塞

クラック・デ・シェバリエは彼のアラビアのロレンスが最も美しい城とたたえた通り全面白煉瓦造りで見事に統一されています。
白く輝くレンガの間からは雑草が映えて、独特の美しい外観になっており、近づく人々に明るい印象を与えています。

しかし、用途はあくまでも要塞であるため険しい崖の上に作られ、7つある守備塔の壁の厚さは10m近く、外壁の厚さは30mにも及ぶ堅牢そのものの構造です。
濠や跳ね橋なども具備し、敵が攻め込みにくい構造に作られており、見た目の美しさとは裏腹のまさに戦うための要塞でした。

欧風とイスラム風

度重なる戦いによって持ち主がヨーロッパ人とアラブ人に間でたびたび変わったために、ヨーロッパのロココ調の作りとイスラム的な作りが混在しています。
歴史的な事実がそのまま、建造物の装飾や構造に影響を与えて他に類を見ない価値を生み出しているのです。

今も戦いの中で

日本では「天空の城ラピュタ」のモデルではないかと取りざたされる美しい城。
多くの戦いを経て存在するクラック・デ・シェバリエは、今もなお戦火の中にあり砲撃を受けた報道も記憶に新しいものです。
現在、その存続が危ぶまれる危機遺産となっています。

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